ALICE in the Clubland


“その王様は、自由への規律を持ち合わせているように見えた。”

「姫、どうしたの? 一人だけ夕立?」
 ゴジラのビルの植え込みを後にした私は、裏通りの入り口で奇怪な髪形をした男から声をかけられた。

「大学生? あ、女優さんか? 分かった、その両方でしょ。なんかさ、なんかで見たことあるし」
奇怪な髪形をした男は、門番のように道をふさいだ。

「どう? お勉強ばっかりしてないで、たまにはパーっとハジけちゃわない? 学割、学割、もちろん女優さん割引もつけちゃう。今夜はこっちがお勉強させて頂きます。なんてね」

そこまで言い、私が腕にかけているセーターが目に入ったのだろう、男は細い眉を上げ、少しだけ声の調子を変えた。

「なんだ、もうすっかりプロの方? 行きつけの店は? もうガッチリ決まった担当がいるの?」
「いいえ」全ての質問に対する正解を一度に渡したはずだが、「良かった、今はフリーなんだね」奇怪な髪形をした男は私の肩を抱き、通りの奥へ向かう。
男の身体からは、逃げ遅れた猫の香りがした。

「さあ、ここだよ。今なら初回。僕の指名料込みで……」
整形手術のカタログじみた看板を眺めている私を見て、男は勘違いしたらしい。親戚のように私の耳へ口を寄せ、「ねえ、ぶっちゃけいくら持ってるの?」煮詰めたミントのような息を吐いた。

「これだけ、よ」私はセーターを示した。
「スランプ? どっかの店でボッタくられちゃった? まあ、そんな時もあるよね」
大丈夫、大丈夫。クスブり具合だったら、俺も負けてないからさ。男は私の首を二度叩いた。

「OK。じゃあ、あそこで待ってなよ」西洋の古城を模した建物のふもとにある、小さな公園を指差す。
「お互い、風向きを変えちゃおうぜ。とっておきの仕事を紹介してあげる」男は声をひそめ、続けた。
「本職のスカウトさん達にバレたらヤバいから、絶対に内緒だぜ。な?」

 私は古城の尖塔を見上げ、次に男の髪形を眺めた。溺死体を避けるように、町の魚たちが通り過ぎていく。
「よし、決まり!」男は私に向けて掌を開いた。私も同じように掌を開き、「では、煙草を下さい」と言った。
「俺、禁煙中。でも、良い子で待っててくれりゃ、すぐに買ってきて上げるよ」

 私は男に背を向け、三段足らずの公園の石段を上った。
 相変わらずその公園のベンチはカビでできており、私はかつてそうしていたように、そこへ腰を下ろした。奇怪な髪形をした男はしばらく私の様子をうかがっていたが、やがて目をこすり、肩をひと揺りすると、通りへ戻っていった。

 公園には食べ残された鳩と、無機質な動物の像、生き延びているミミズ、ダンボール紙の王宮があった。
 王は片足を引きずりながら、熱心に空き瓶を整理している。

 ここまでが宮庭であるならば、私は自由の王の気分を害してしまうだろうか。
 Papatayin Jap.私は城壁に殴り書かれている文字を眺めた。
 ほぼ消えかけているそれは、救難信号であるようにも思えた。

 どこかから楽しげな音が聞こえる。
 ここであの男を待つか。それとも、音をたどり、歩いてみようか。


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